神戸市東灘区にも神社など史跡が多く点在します。
中には歴史をひもとくと一つの物語に沿って祀られている神様がいたりして、こういう側面が歴史家を夢中にさせるのかもしれませんね。
今回はそんな中でも特徴的な史跡をご紹介します。
他の神戸市の史跡ふくめた名所の紹介はこちらです。
神戸市まとめ
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Contents
弓弦羽神社
弓弦羽神社の歴史
弓弦羽(ゆずるは)神社は神戸市東灘区にあり、
・伊弉册尊(いざなみのみこと)
・事解之男命(ことさかのおみこと)
・速玉之男命(はやたまのおみこと)
を祀っている神社です。
神功皇后が新羅、高句麗、百済を平定し、凱旋の時、長門國豊浦(現在の山口県付近)より摂津國難波浦(兵庫県南東と大阪付近)に向かわれる途中、
忍熊王(おしくまのみこ)が兵を挙げたのをお知りになり、
皇后自ら当地で弓矢甲冑を納めて熊野大神を斎奉しご祈念されたところ、
戦には大勝し、それより後は諸々の願い事は、全て御心のままに叶ったといいます。
この故事により、神社背後の秀麗な峰を弓弦羽嶽(弓矢)とも六甲山(甲冑)とも言います。
又、神功皇后がこの里の泉(澤の井・阪神御影駅南)に、お姿を写しになった故事によりこの里は「御影」(みかげ)と呼ばれるようになりました。
8世紀末に、この弓弦羽ノ森(ゆづるはのもり)を神領地と定め、嘉祥2年(西暦849年)正月14日神祠を造営して改めて熊野大神をお祀りしました。
この時、熊野那智大社の別當、慶覚は「摂津國灘浦遊鶴羽之峯権現の故事当文庫に記録あり云々……」と祝文を送ったと言います。
また弓弦羽神社には熊野とのつながりがある八咫烏(やたがらす)のお守りも売っており、
神社のシンボルマークも八咫烏をモチーフにしています。
どうしても叶えたい願い事があるなら八咫烏の「ゆず丸」(800円)が叶えてくれるとか。
弓弦羽神社へのアクセス
JRや阪神電車からも行けないことはないですが、阪急電車の場合ほぼ目の前ですね。
阪急御影駅から南東へ徒歩5分で着きます。
処女塚古墳
処女塚古墳の歴史
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処女塚古墳、(おとめづかこふん)と読みます。
一時期近くの交差点の表記が「処女塚」から「乙女塚」となったこともあったみたいですが誤記だったそうですね。
築造の時期は4世紀頃。
全長70mの前方後方墳で、後方部幅39m・高さ7m、前方部幅32m・高さ4m、後方部3段・前方部2段築成で葺石を備えています。
後方部墳頂で埋葬施設の一部とみられる石材が確認されましたが、詳細はいまだ不明。
前方部東側のくびれ部に近い場所では、古墳築造後に埋葬されたとみられる箱式石棺1基が見つかっています。
1922(大正11)年に国指定史跡に指定され、昭和60年(1985)に遺跡公園として整備されました。
この古墳には一つの悲恋な伝説が残っています。
現在の芦屋市から神戸市に流れる生田川付近までをむかしは菟原(うない)と呼んでいました。
その菟原の地にとても美しい娘が住んでいました。
両親に大切にされ、その美しさは顔や姿ばかりではなく、心も優しく、機織りがたいへん上手な娘でした。
周囲の人々はその噂を聞き、一目娘を見たいと思い訪ねてくるほど。
多くの男が娘に結婚を申し込みました。
そんな人々の中に2人の若者がいました。
一人は智奴壮士(ちぬおとこ)、和泉の國からやってきた若者。
もう一人は菟原壮士(うないおとこ)、娘とおなじ菟原の若者でした。
2人はそれぞれ娘に結婚を申し込み、娘の両親もどちらかと結婚してくれたらと願っていましたが、娘の気持ちはなかなか決まりませんでした。
2人とも立派なすばらしい若者で、選びきれない娘は苦悩しました。
一方、若者はというと、なんとか自分と結婚を、とますます競争するようになっていきます。
若者たちが競争すればするほど娘の苦悩は深まり、ついに娘は川にその身を投げ、命を絶ちます。
智奴壮士は娘の後を追うように自らの命を断ち、菟原壮士も負けてられんと2人の後を追って死にました。
娘の親族はせめてものと、娘の墓を作り、人々はそのお墓を処女塚(おとめづか)と呼びました。
そして、処女塚を見守るように造られた二人の若者の墓は、東求女塚(ひがしもとめづか)、西求女塚(にしもとめづか)と呼ばれています。
処女塚古墳へのアクセス
やや海側にあるので阪急電車やJRよりも阪神電車のほうが近いですね。
阪神電車石屋川駅から南西へ徒歩5分程度で着きます。
保久良神社
保久良神社の歴史
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保久良(ほくら)神社は六甲山系金鳥山・保久良山の中腹に位置し、須佐之男神、大歳御祖神、大国主命、椎根津彦命を御祭神とする神社。
阪急電車の岡本駅から山側に徒歩で約30分程度、急斜面の登り坂なのでちょっとした運動になります。
この神社の前からの大阪湾の眺望はすばらしく、坂道を上がってきた疲れを忘れさせてくれます。
またこの神社は、日本の未知の古代文明、カタカムナの遺跡として、好事家には知られています。
本殿周辺に巨大な石組の跡らしきものがあり、古代の信仰のなごりといわれています。
弥生時代の遺跡、土器などが出土した古代祭祀に認定されていて、西の斜面には約250本の梅が植えられた保久良梅林があります。
鳥居前の石灯籠は、古代から大阪湾の沖を通る船の目印として、灘の一つ火と呼ばれてきました。今も毎夜点灯されています。
保久良神社へのアクセス
山の中腹にあります。
阪急電車の岡本駅より徒歩30分程度。
動きやすいスニーカーなどで行く方が良いでしょう。
さいごに
余談ですが、保久良神社のように巨石をご神体としている神社は西宮にもあります。
こうやって巨石の遺跡があり、由来などがそれぞれ未定というのもロマンを感じますね。
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